『迦羅羅』は闇を食い破って生まれ出た。

姿、醜悪。 容貌、怪異。
全身『癩』で被われていた。 この世で始めて出会ったものは墓守の老人。
飢えて泣く迦羅羅の前に墓守は、老いさらばえたその身を捧げ た。
墓守の脳漿をすすって迦羅羅は知恵を授かった。
迦羅羅には、幼き頃の記憶はない。

『欲界』を流浪しながら成長した。
出会った者を次々に食い殺す。
五臓六腑が求めるままの所業であった。

すでに迦羅羅の身の丈は一丈六尺。
隆起した瘤のごとき筋肉と、結節だらけの手足に加え、全身糜 爛の表皮を曝し、紅日のごとき眼光で、迦羅羅の姿は魔神で あった。
だが、呪われた体躯にかかわらず、その心は純然無垢。
逆にそれが迦羅羅の運命を悲しいものにしたとも言える。

ある時、邪淫に耽ける親子に出会った。
男親を食い殺して『怒』を、女親を食い殺して『喜』を、娘を 食い殺して『楽』を、最後に息子を食い殺して『哀』の感情を 得た。
以来、迦羅羅は人肉を求めようとはしなかった。



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Samsara
仏教の発祥地インド地方で使われるサンスクリット語。中国ではこれを[輪廻」と訳しました。この言葉は、すべての生きものが、生前の世界で行なったことに対して報いを受け、後述します「三界」、あるいは「六道」と呼ばれる迷いの世界に おいて、生死の流転を繰り返すことを意味します。ところで「悪業の報いで地獄に落ちる」と戒められる地獄というのは、六道の 最下層の世界です。六道には、「地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上」があります。わたしたちは果報によって人間界に生まれましたが、来世において、再び人間として生を受ける保障はありません。すべてが、この世の行いにかかっているというわけで す。仏教ははじめ、自分自身が救われることに熱心であった「小乗」と呼ばれるものでしたが、仏教が広まるにつれて、すべての 人の救済をめざす「大乗」に変わっていきました。輪廻の思想も、この大乗仏教によって確立されましたが、その起源は、生々流 転のとめどのない世界を、車輪の回転にたとえた古代インドの思想にあります。始めのタイトル部分「samsara」と書かれた背景 にあるのは、南インド地方で出土した「踊るシヴァ像」です。宇宙の創造神であるシヴァは、輪廻の車輪の中で踊りながら、わた したちの世界を動かしていると考えられています。
波羅蜜
サンスクリット語で「完成」を意味し、「彼岸に至る」と理解されることもあります。仏教国では春分の日と秋分の 日をはさんで前後の三日間を彼岸と呼び、さまざまな仏事や民俗行事が行われますが、本来は「悟りの境地」を意味する言葉です。 わたしたちは生活していく上でさまざまな悩みが生まれます。仏教ではそれを情欲による「煩悩」とよびますが、この煩悩が満ちている迷いの現世を「此岸」とし、煩悩から解き放たれいる世界を「彼岸」と呼びます。此岸から彼岸に渡るためには、「六波羅蜜」あるいは「六度」とよばれる大変苦しい修行を積まなければなりません。先述しました大乗仏教では、この六波羅蜜の実践が 重視されています。今でも、滝に打たれたり、断食してお経をあげ続けたり、という「苦行」をする方がいますが、これらの修行は彼岸に、より近づこうとして行なわれるものです。なお、この彼岸のことを「涅槃」ともいい、両岸に横たわって流れているのがあの「三途の川」と呼ばれます。
迦羅羅
サンスクリット語で「裂くもの」を意味します。「涅槃経」というお経では「迦羅羅」と書かれていますが、南イン ド地方では「カメレオン」を意味するようです。すこし専門的な話になりますが、「大智度論」という漢訳仏典があります。その 中に「迦羅求羅」という言葉が見られ、「其身微細ナルモ風ヲ得レバ轉タ大ナリ、 至能ク一切ヲ呑食ス、光明モ亦ノ如シ」と書か れています。「迦羅求羅」はインドではカメレオンと同じ爬虫類の仲間の「蜥蜴」を意味します。ですから、迦羅求羅なるものは 「ふだんはちっぽけな体のくせに、ひとたび風が吹くとばかでかい怪獣に変身する。食い意地がきたなく、何でも食べ、光さえ食 べてしまう」というわけです。もちろん、このような生きものをこの世の中で目にすることはできません。また「裂くもの」といっ ても、カメレオンも蜥蜴もともに卵から生まれるので、母体を食い破ることはありません。しかし、同じ爬虫類の「蝮」は、他の 蛇とは異なって、卵をつくらず、親蛇と同じ姿で体内から生まれてきます。ところで、生きものの世界では、子を生んで寿命が尽 きてしまう種がとても多く見られます。蜘蛛の中には、親の体液をすすって、親を殺し、その生命と引きかえに成長するものがい ます。また、昆虫に見られる例ですが、産卵の時期になると、他の種類の昆虫に姿を似せて近づき、麻酔液の毒針を打ち込んで、 相手の体内に子供を産みつけるものもいます。親や宿主の生き身を食べて成長するこうした悲しい種族と、お経や仏典にでてくる 「変身能力をもった貪欲な生きもの」のイメージが重なり合って、この本に登場する「迦羅羅」が生まれました。
「癩」とは、癩菌の感染による慢性伝染病で、ハンセン氏病を意味します。近年まで、病気に対する無知が原因で、 発病者はもちろん、その家族まで周囲の人々から差別され、迫害されてきました。伝染病の死亡率が高かった昔は、多くの皮膚病 を「癩」と呼び、恐れたものです。本書における迦羅羅の病は、特にハンセン氏病をさすのではなく、迦羅羅が、人々を恐怖に陥 れる醜悪な姿をしていたことを意味するのにとどまります。また、「光明皇后が癩病患者の治療のために、その膿を吸ったところ、 その患者は仏の姿になった」という話はよく知られています。
欲界
仏教的な世界観に「三界」という考え方があります。昔のことわざ「女、三界に家なし」に使われる言葉で「欲界・ 色界・無色界」から成り立つ全世界を意味します。色界と無色界は後述しますので、ここでは欲界だけを説明します。欲界は、三 界の始めの世界です。生まれ落ちるとまず欲界に入る、あるいは、生まれ落ちた所が欲界であると考えてよいでしょう。生きとし 生けるすべてのものを仏教では「衆生」とよびますが、この衆生が、さまざまな欲望にとらわれて迷い苦しむ世界が欲界です。欲 望の代表的なものを「三欲」とよび、それには、「食欲」や「眠欲」そして種族保存の本能ともいえる「淫欲」とがあります。食 欲と眠欲はさておき、淫欲とは、仏教では健全な愛の感情も含めて、すべての性欲をさします。欲界にも上、中、下があり、上は 「六欲天」、中は「人間界」、下は「八大地獄」と呼ばれています
一丈六尺
迦羅羅は姿かたちが変化するので、大きさを定めても意味がないように思えます。しかし、本書では迦羅羅の基本的 な大きさを一丈六尺と定めました。怒り狂って暴れる場面などは別として、同じ生きものとして、それなりの大きさが必要です。 カメレオンや蜥蜴の大きさでは小さすぎますので、仏像の大きさとしました。ところで、仏教が広まるにつれて、仏の仮の姿とし て仏像が作られるようになりましたが、ふつうは3メートルほどのいわゆる「丈六仏」が作られます。「観無量寿経」によると、仏 が人間の前に現れる時、その姿はわたしたちの二倍あると書かれています。仏典などで人間は八尺とされていますので、仏はその 倍、一丈六尺となるわけです。この大きさは現代の丈尺単位で4メートル80センチほどにもなり、わたしたちが2メートル40センチ の巨人となってしまいます。しかし、古代の丈尺単位はやや短いので、それを考慮すると3メートルほどが仏の大きさとなります。 迦羅羅が苦海の旅を通して仏に近づいていくという意味から、その大きさを一丈六尺としています。
邪淫
仏教で禁止する行為に「五戒」があります。それは、生きものを殺さないという「殺生戒」、盗みをしないという 「偸盗戒」、正当な夫婦関係以外の性交為をしないという「邪淫戒」、嘘をつかないという「妄語戒」、むやみに酒を飲まないと いう「飲酒戒」から成り立ちます。邪淫はその一つで、愛欲による不当な行為をさし、近親相姦は特に禁じられています。夫婦で あっても「非支」(性器以外の身体の部分)、「非時」(時をわきまえず)、非処」(場所をえらばず)、「非度」(過度な性交)などは みな邪淫として戒められています。



【解説】

中空に浮かぶ地蔵菩薩の見守る先は、生まれたばかりの迦羅羅である。二の腕の後ろに顔がわずかに見える。右隅に描かれているのは、母を象徴する乳房であろう。
子虫がその上を這いまわる。
有機的な物体の重なりに巻きつけられた横縄は迦羅羅が背負っている宿命を暗示するようだ。静寂な画面の中から何かが始まる予感がする。
 美術評論家 平野龍典


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