迦羅羅は『欲界』の地を去り、『阿闍』に流れてきた
そこは悪霊に取り憑かれた国。
迦羅羅は街に入った。

その姿を見た民は、一方で悪霊列座の『妖魔』と恐れ、他方で 仏陀の使徒の『明王』であると考えた。
だが、醜悪怪異な迦羅羅には、野犬とても近づけぬ。

迦羅羅に初めて石を投じたのは子供達である。
抗わぬ迦羅羅を 見て、大人達も石を投じてきた。
雨と降る石つぶての痛みの中で、迦羅羅は己に対する民衆の 『嫌悪』の情を見てとった。
迦羅羅は街を逃れ、その身を隠した。

暗い地の底に潜み、民の集う街を見続けている。
『憧憬』と同じに『羨望』が生まれた。
悲哀の中で、己の『孤独』を迦羅羅は知った。

迦羅羅が阿闍に現れた頃、悪霊は王家に対して貢ぎを求めてき た。
人身御供とされたのは、今は亡き国王の孫娘。 その名は『聖妃』。
岩山の犠の祭壇に繋れながら、聖妃は一心不乱で仏に祈ってい る。

雲が流れた。
そこには魔王のごとき迦羅羅がいた。

迦羅羅は、聖妃を見た刹那、心の奥に『愛』が生まれていた。
己の醜さも忘れて聖妃に近づいた。
迦羅羅の手が、恐怖におののく聖妃に伸びる。
そして白い乳房に触れた時、聖妃は気を失った。
その時である。暗黒を切り裂く咆吼とともに悪霊が現れた。


 
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阿闍
古代インドの王「阿闍世」の名に由来する作者仮想の国。この本を理解されるのに役立つと思われますので、「涅槃経」による阿闍世王の仏語をご紹介します。『阿闍世は父殺しの宿命を背負って生まれてきた。その父王は老いて子がなく、やっ とできた我が子の誕生を急ぐあまり、我が子に生まれ変わるといわれた仙人を殺してしまう。仙人は死に際して父王に復讐の呪い をかけた。仙人の転生として誕生する我が子を恐れた父王は、生まれたばかりの阿闍世を、塔より地面へ投げ棄てて殺害をはかっ た。その時、阿闍世は指を折るが、成長するに及んで指の傷から出生の秘密を知ってしまう。阿闍世は母后の諭しも聞かず、父を 毒殺した。その後、大罪を犯した後悔の焔で日々身を焼かれ続ける。しかし、仏の教えを聞いたため最後には救われた。』この仏 話の説いている「因業の罪と救済」が、本書の物語と重ね合わされています。
妖魔
仏典に書かれている「ばけもの」。仏教を信仰する人々に敵対するさまざまな悪魔を意味します。仏教の諸派に「密 教」がありますが、これは加持祈祷とよばれる儀式を通して、後述します「大日如来」の教えを感じとろうとする宗派です。ふつ う、高野山の金剛峯寺や京都の東寺で有名な真言宗をさします。この密教で尊敬され、崇拝される「明王」の戦相手がこの妖魔です。
明王
密教的な世界観から生まれた「如来」の化身。如来とは悟りを開いた仏たちのことを意味します。明王は別名「威怒王」とか「忿怒尊」ともいって、その名の通り口をグワッと開け、牙をむき出し、髪を逆立て、眼光鋭いグロテスクな容貌をして います。どんなに説法をしても情欲に流され、煩悩から脱け出せない人がいるもので、そんな人達を救うにはもう力づくでやるしかない、ということでしょう。煩悩から救われるのを邪魔するのが、先述しました妖魔です。よく知られた「不動明王」も、見るからに怖そうな形相をしていますが、これも、仏道にともなう苦難を乗り越えるための不動の精神を示しているからなのです。他 に「降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉」などの明王を含めて五大明王と呼ばれています。変わり種としては「孔雀明王」と呼ばれる明王もおります。


【解説】

「邪淫に耽る親子」を襲う迦羅羅は、まだ幼さが残っている。その体にまとわりつくのは、迦羅羅を呪縛して放さない因業の紐か。恐怖におののく男親、すでに気を失った女親、そしてその向こうに見えるのは、子供達の相姦図であろうか。「俗界」に迷う四人の姿を通して、物質文明のもたらす快楽に麻痺した現代人、に対する作者の不安の念が感じとれよう。一瞬の緊張感が伝わってくる作品である。
 美術評論家 平野龍典



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