ラプラスの悪魔

■ ラプラスの悪魔 ■(Laplace’s demon)

ナポレオン皇帝はラプラスに対して、 「お前の書いた本は不朽の大著作だと評判が高いが、神のことがどこにも出て来ないじゃないか」とからかうと、ラプラスは言った。
「陛下、私には神という仮説は無用なのです」

ピエールシモン・ラプラスは18世紀のフランスの数学者で、「天体力学」と「確率論の解析理論」の名著を残している。天文学、確率論、解析学に偉大な業績があり、ラプラス変換の発見者として有名である。

彼は「ある特定の時間の宇宙の全ての粒子の運動状態がわかれば、これから起こる全ての現象は事前に計算できる」と主張した。これを運命決定論という。ラプラスは神を捨てて、自然現象を客観的に表現しようとする態度をとった。

ところで、サイコロを振ったとき、特定の数字の目が出る確率は6分の1である。回数が少なければバラつきがあるが、何度も繰り返していくと6分の1に限りなく近づいていく。
しかし、もしサイコロの厳密な形状と、それが落ちる高さ、大気の流れや跳ね返る台の特性など全ての情報がわかっていたとすれば、正確な観測と複雑な計算によってどの目が出るかわかるとラプラスは考えた。

現在、予測できないのは正確な観測と運動力学など数学や科学が必要なレベルに達していないからであって、原理的に予測不可能という意味ではない。

もし仮に、瞬時に観測や計算を出来る者がいれば、サイコロを振った瞬間にどの目が出るかわかるはずである。

その仮想の者はラプラスの悪魔と呼ばれるようになった。ラプラスの悪魔は宇宙の全ての事象を瞬時に解析することができ、物の変化だけではなく、人の運命までも知るのだ。
ラプラスの悪魔とは、未来の決定性を論じる時に仮想される超越的存在である。

ニュートン力学の成功と、科学技術の発達は人類に日食を正確に予測させ、月にも行けるようにした。近代科学は人類をラプラスの悪魔にする事が目的かのごとく発展しつつあった。

仏教は因果説をとる。現在ある結果は過去に原因があるのだ。かりにその原因が本人の責任でなかったとしても、前世での業が現世に反映するのである。

ラプラスの悪魔は前世の情報を全てもっているのであるから現世に起こることは何でもわかってしまう。

一方、キリスト教は予定説をとる。どんなに善行を積もうと、悪行をしようと人の運命は神によって始めから決まっていて「全ては神の思し召しのままに」である。

しかし、全ての情報を把握するラプラスの悪魔さえいれば、人間がラプラスの悪魔になればキリスト教の神は不要となってしまう。神の仮説を否定したラプラスは、教会の旧勢力と対峙して国を統治するナポレオンには好意的に移ったことだろう。

しかし、ドイツのハイゼンベルグが不確定性原理を見出し、この瞬間、ラプラスの悪魔は消滅した。

量子力学の微細な素粒子について考えてみる。ラプラスの悪魔は過去、現在、宇宙の全ての事象に関する情報を持っていて、瞬時に解析できるのだが、素粒子の情報を得るには観測をしなければならない。

例えば電子の位置や運動量を知るために観測する。電子は微細なので間接的な観測が必要だ。

電子の位置を知るためにガンマ線など波長の短い電磁波を当てたと仮定する。

電磁波が電子に衝突すると、電磁波の跳ね返る方向から電子の位置がわかる。しかし、波長の短い光はエネルギーが強いので電子も跳ね飛ばされてどこに飛んだかわからなくなり、運動量が測定できない。逆に運動量に影響しないように長い波長の電磁波を当てると運動量はわかるが、弱いエネルギーの電磁波は波長が長いため上手く電子に当たらず、位置がわからない。

量子力学の世界では測定される物に影響を与えないで位置や運動量を正確に測定することは不可能である。これが、ハイゼンベルクの不確定性原理である。この関係は時間とエネルギーにおいても成り立つ。ハイゼンベルグは不確定性原理でノーベル賞を受賞し、後にナチスドイツの原爆開発の責任者となった。

しかし、観測をしてもしなくても物はそこにある。厳密にはそこにあるとわかるのは光を当てるか、触れるなどして観測しているのだが、物があるというのは実感として否定されないであろう。

不確定性原理は単に量子力学の世界にたいして観測器具の限界を論じているに過ぎなく、観測されるものに影響を与えない方法が観察されればラプラスの悪魔は復活すると考える学者も多い。

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