魂の救済

オラトリオのなかでも「マタイ受難曲」は、キリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘に向かう悲しみと、死後の埋葬にたいする黙想が表現されている。劇的な「ヨハネ受難曲」は、受難の聖なる金曜日から復活日までを表現している。

バッハはキリスト教を深く信仰し、教会と深い関わりをもちながら、「死者のよみがえりを待ちのぞむ」心と、「聖霊とともに」の激しい歓喜の表現を作品に表している。しかし、バッハの信仰心は決して盲目的ではない。バッハの信仰の背後には常に「疑い」があった。

だからカンタータ「われ信ず、尊き主よ、信仰なきわれをたすけたまえ」で、不信仰の描写が現実的なので、次の楽章では別な自分の立場を主張するために努力が必要であった。

バッハが特別に配慮した第二番目の領域は、「入間の神にたいする深い個人的な関係」である。

イエスは、旧約聖書の思想を基礎として魂の花婿とみなされている。そのためバッハは二重唱を作り、魂をソプラノの役、キリストをバスの役で歌われるように配慮している。
  「試練に耐うる人は幸いたり」で表現される対立しまた協調する感動的な対話、また「わがうちに憂いは満ちぬ」、「めざめよ、とわれらに呼ばわる物見らの声」の中に魂と魂の花婿イエスの対話が表現されるのである。

バッハの全作品に流れる主題は「人間存在の有限性の全体」を「ああいかに儚なき、ああいかに虚しきかな」と嘆くように「人間のはかなさと死」である。その反面、「死そのものを克服する試み」をし、「キリストの復活を通して、私たち人間の復活も保障される」ことを願ったのである。

バッハは魂と花婿の対話から、死は慕いこがれる思いをもってまもなく来る。その到来を待ちわびている。なぜなら死は、キリストとの一致を意味するからである。そのため、バッハの葬送カンタータは、悲しみよりも率直に喜ばしく奏でられるのである。

バッハはそうした死への憧れを、力ンタータ「キリストこそわが命」のテノールのアリア「憧れのときよ、早くきたれ」で描写している。

サンスカラーの法理
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