バッハの驚くべき仕事の原動力には家族の力が大きかった。子供が多かったので生活面での必要性もあり、家族のために働き、その団欒のうちに心を休めただけでなく、父親としてのバッハは熱心に息子たちの音楽教育を引き受けた。
しかし、バッハは神を盲目的に信じていなかった。幼いときの父の死、13年間だけしか暮らせなかった先妻の死、11人の子供の死など、家族に引き起こされる不幸にたいして、キリスト教の予定説を受け入れるには運命は過酷であった。
現在の音階と和音を創りあげたバッハにピタゴラスの思想は影響を与えていた。バッハは生涯、自身と家族が救済される「天上の音楽」を求めたのである。
自らの運命を受け入れて人類の罪を背負って死にながらも、復活するキリスト表現した「マタイ受難曲」に、かなえられないと知りつつも家族の復活を願わざるを得ないバッハの気持ちが伝わってくる。
妻アンナの役割は、たくさんの子供の世話だけでなく、夫バッハは評判の客好きだったので、絶えず増大する家計をまかない、なおかつバッハの仕事も手伝った。
あるときは器楽曲の楽譜を清書し、またあるときは、さし迫った新曲のためのパート譜の写譜など、アンナは常に忠実な協力者であった。
バッハとアンナは7人の子供を失うという厳しい試練もあったが、順境のときも逆境のときも、バッハは15歳年下の妻のもとに仕事への理解と安息を見出した。
バッハが亡くなったとき、妻アンナは、まだ成人に達しない4人の子供に対する保護者権を獲得するために、再婚の意志を放棄した。
アンナには乏しい資産しか残されておらず、義理の息子たちの援助を求めることも望まなかったので、ついに市の世話を受ける「窮民」として生活した。
有名なオペラ作曲家になった末子の輝かしい成功を見ることもできずに夫の10年後、世を去り、ヨハネ墓地の夫のかたわらに葬られた。
サンスカラーの法理 |
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